公式長編記録映画 日本万国博
2006年8月6日 映画
谷口千吉総監督の「日本万国博」を見た。1971年。
先日来、連載が終了したという噂を聞き付けて、やっとのことで浦沢直樹の『二十世紀少年』を読み出した。
少年時代の逆襲というようなテーマで、秘密基地だのカセットテープへのこだわりだの、正義の味方だの、きわめてノスタルジックな、したがって頭がおかしくなりそうなストーリーが展開されている。第21巻まで読んだのだが、ちょっと伸ばし過ぎたか、という印象だ。
きっちりオトシマエがつくタイミングを逃したか、と思っているが、これにどう決着をつけるのか、お手並み拝見。
で、この漫画では1970年の大阪万博がモチーフとして扱われているのだ。
大阪万博は、僕が小学5年生のときに開催されており、もちろん、大阪に住んでいた僕はごく普通に万博に行っていた。せいぜいがユニバーサルスタジオジャパンに行くような感覚で、『20世紀少年』に描かれたような特別視はなかった。関西以外の地域では、捉え方が違ったのかもしれない。
また、太陽の塔についても、大人はあれを見て笑い、子供は親近感の湧くキャラクターとして一緒に遊んでいたと思う。今の岡本太郎ブームは、妙に毒の抜けた形で偉人に仕立て上げていて、つまらない。マスコミが噛んでくると、つまらなくなってしまういい例だと思う。また、万博で一番印象に残ったのは、月の石でも、宇宙船でもなく、三菱未来館の「動く歩道」だった。今なら、どこにでもあるものだけど、と、いうことは、万博で描かれたいろんな未来像のうち、ちゃんと未来を予知し、実現したのはこの「動く歩道」くらいなのかもしれない。
さて、映画である。
おおむね、僕の記憶、印象をなぞる形で脳内で再現されていったが、当時は小学生だったこともあって、今はじめてわかったことが多々ある。
ディズニーランドなどでは比較できない36年前の熱狂がそこにはあった。1日に83万人以上の入場者って、狂ってる。
そして、「人類の進歩と調和」のテーマから想像されるような、未来への楽天的な信頼があったわけでもないことがわかった。パビリオンの数々が展示するのは、スペクタクルと物産展、学習用立体図鑑の趣きがあった。でも、それだけではない。ベトナム戦争だの原爆だの水俣病だの公害だの失われた人間性だの、現代のかかえる諸問題をつきつけていた。監督の意図がそこにあったのかもしれないが、そういうネガティブな要素を切り捨てていたかのような感想は、これもまた偏った見方だったんだな、と思った。
エコロジーや地球温暖化のような、一見前向きな正義の見方っぽい思想が、途上国の産業発展に足枷をはめるための策略でしかないことを思えば、「愛地球博」よりもまっとうな博覧会だったと思われる。
ただ、こんなふうに大阪万博を見ることができるのは、時が経ったからなのかもしれない。
映画のラストで、小学6年生の作文が、「祭りの後の寂しさ」みたいなレベルにとどまっていたが、世間一般の感想も似たりよったりだったんじゃないか、と思う。
「人類の進歩と調和」とあれほどお題目をとなえていたのに、未来につながらない一時のお祭りとしかとらえていなかったのだ。
万博の頃から、人類はちっとも進歩せず、調和もしていない。
20世紀は継続中なのだ。
先日来、連載が終了したという噂を聞き付けて、やっとのことで浦沢直樹の『二十世紀少年』を読み出した。
少年時代の逆襲というようなテーマで、秘密基地だのカセットテープへのこだわりだの、正義の味方だの、きわめてノスタルジックな、したがって頭がおかしくなりそうなストーリーが展開されている。第21巻まで読んだのだが、ちょっと伸ばし過ぎたか、という印象だ。
きっちりオトシマエがつくタイミングを逃したか、と思っているが、これにどう決着をつけるのか、お手並み拝見。
で、この漫画では1970年の大阪万博がモチーフとして扱われているのだ。
大阪万博は、僕が小学5年生のときに開催されており、もちろん、大阪に住んでいた僕はごく普通に万博に行っていた。せいぜいがユニバーサルスタジオジャパンに行くような感覚で、『20世紀少年』に描かれたような特別視はなかった。関西以外の地域では、捉え方が違ったのかもしれない。
また、太陽の塔についても、大人はあれを見て笑い、子供は親近感の湧くキャラクターとして一緒に遊んでいたと思う。今の岡本太郎ブームは、妙に毒の抜けた形で偉人に仕立て上げていて、つまらない。マスコミが噛んでくると、つまらなくなってしまういい例だと思う。また、万博で一番印象に残ったのは、月の石でも、宇宙船でもなく、三菱未来館の「動く歩道」だった。今なら、どこにでもあるものだけど、と、いうことは、万博で描かれたいろんな未来像のうち、ちゃんと未来を予知し、実現したのはこの「動く歩道」くらいなのかもしれない。
さて、映画である。
おおむね、僕の記憶、印象をなぞる形で脳内で再現されていったが、当時は小学生だったこともあって、今はじめてわかったことが多々ある。
ディズニーランドなどでは比較できない36年前の熱狂がそこにはあった。1日に83万人以上の入場者って、狂ってる。
そして、「人類の進歩と調和」のテーマから想像されるような、未来への楽天的な信頼があったわけでもないことがわかった。パビリオンの数々が展示するのは、スペクタクルと物産展、学習用立体図鑑の趣きがあった。でも、それだけではない。ベトナム戦争だの原爆だの水俣病だの公害だの失われた人間性だの、現代のかかえる諸問題をつきつけていた。監督の意図がそこにあったのかもしれないが、そういうネガティブな要素を切り捨てていたかのような感想は、これもまた偏った見方だったんだな、と思った。
エコロジーや地球温暖化のような、一見前向きな正義の見方っぽい思想が、途上国の産業発展に足枷をはめるための策略でしかないことを思えば、「愛地球博」よりもまっとうな博覧会だったと思われる。
ただ、こんなふうに大阪万博を見ることができるのは、時が経ったからなのかもしれない。
映画のラストで、小学6年生の作文が、「祭りの後の寂しさ」みたいなレベルにとどまっていたが、世間一般の感想も似たりよったりだったんじゃないか、と思う。
「人類の進歩と調和」とあれほどお題目をとなえていたのに、未来につながらない一時のお祭りとしかとらえていなかったのだ。
万博の頃から、人類はちっとも進歩せず、調和もしていない。
20世紀は継続中なのだ。
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