花彩祭でおかめふく、居候としての寺山体験
2006年4月24日 アイドル
大阪城の花彩祭「S1ミュージックバトル」に、おかめふくが出場するというので、見に行った。
正午と3時の2回ライブがあったようだが、僕は2回目の午後3時からの回のみ見た。
天気もよく、花粉症も軽い。とうとうマスクなしで過ごすことにした。タイガーマスクを脱いだ三沢みたいなもので、爽やかだ。
ぽかぽかといい気分。
午後3時20分からはじまったおかめふくのライブ曲目は次のとおり。
1.いいお天気
2.ココロビーダマ
3.おかめふくソング
ギター伴奏あり。ピアニカ、ウクレレ、鈴も登場し、ほんわかした心地よさを感じた。
ひなたぼっこ、ってこんな風だったけ。
見に来ていたサウンドアーチスターの安井くんと、NHKで珈琲を飲む。
今日読んだ本は前田律子の『居候としての寺山体験』
天井桟敷の演劇に演出などで関わっていた著者が語る、寺山修司の思い出。
NHKの「知るを楽しむ」で美輪明宏が寺山修司を語っている。
5月4日の命日が近い、ということもあって、自分のなかでは寺山が再燃してきている。
寺山は僕がまだ学校に勤務していた頃、「レミング」の大阪公演中に死んだ。
それ以来かなりの年月がたち、寺山の新作がないのはもちろん、寺山を知り、語る人の老齢化も気になっていた。
「若い人は会ったこともないでしょうけど、私は寺山のいろんなことを知ってるんですよ」的な老人めいた物言いは、聞きたくないものだ。
この前田律子の本は、寺山に怒られた話とか、身近なエピソードが多い。
マスコットで飼っていたリスがクッションの下で寝ているのも知らずに、寺山がその上で寝転がり、圧殺してしまうエピソードとか。寺山は言葉もなくその場を立ち去ったという。
あるいは、大山デブ子の犯罪のオーディションで、肥満の女性を募集したが、1人も応募がなく困ったエピソードとか。ただし、宣伝では、デブの女性が列をなしたことになっていた。
1メートル以上の大蛇を身体に巻く!と宣伝された蛇は30センチ程度だったとか。
狼少女愛子はおばあさんだったとか。
舞台に蛍光塗料塗ったネズミを大量に走らせる演出を考えたが、皮膚呼吸できずにねずみがバタバタ死んでいったとか。
寺山に怒られた話は、「そりゃ、僕でも怒るな」というエピソードが多くて、著者の当時の駄目っぷりを示すものでしかないが、アングラ演劇に転がり込んだ家出少女に実務がバリバリこなせるはずもない。九條映子は別として、変人奇人ダメ人間の集団をよくぞ切り盛りできていたものだ、と思う。
巻末に、「疑似家族その頃」と題した座談会が載せられている。
前田律子、九條今日子、東由多加が語る。
語っているのは現代のはずなのに、60年代にタイムスリップしたかのようだった。
それぞれがかなりの年齢のはずなのに、座談会のメンバーの顔は、僕の頭の中では若かった。
寺山修司に触れて熱中したのが20才くらいだったからなのか、寺山と「若さ」はセットになっている。
京都で「奴婢訓」を2回見たり、寺山のトークイベントも見に行って、寺山の顔を直接見たり、「レミング」の大阪公演を全回見たり、熱中しているまさにその最中に、寺山は死んでしまったのだ。
寺山の死以来、僕はずっとこう思っている。
寺山修司は、今、地団駄踏んでくやしがっているにちがいない。
だって、僕と知り合えなかったんだから。
正午と3時の2回ライブがあったようだが、僕は2回目の午後3時からの回のみ見た。
天気もよく、花粉症も軽い。とうとうマスクなしで過ごすことにした。タイガーマスクを脱いだ三沢みたいなもので、爽やかだ。
ぽかぽかといい気分。
午後3時20分からはじまったおかめふくのライブ曲目は次のとおり。
1.いいお天気
2.ココロビーダマ
3.おかめふくソング
ギター伴奏あり。ピアニカ、ウクレレ、鈴も登場し、ほんわかした心地よさを感じた。
ひなたぼっこ、ってこんな風だったけ。
見に来ていたサウンドアーチスターの安井くんと、NHKで珈琲を飲む。
今日読んだ本は前田律子の『居候としての寺山体験』
天井桟敷の演劇に演出などで関わっていた著者が語る、寺山修司の思い出。
NHKの「知るを楽しむ」で美輪明宏が寺山修司を語っている。
5月4日の命日が近い、ということもあって、自分のなかでは寺山が再燃してきている。
寺山は僕がまだ学校に勤務していた頃、「レミング」の大阪公演中に死んだ。
それ以来かなりの年月がたち、寺山の新作がないのはもちろん、寺山を知り、語る人の老齢化も気になっていた。
「若い人は会ったこともないでしょうけど、私は寺山のいろんなことを知ってるんですよ」的な老人めいた物言いは、聞きたくないものだ。
この前田律子の本は、寺山に怒られた話とか、身近なエピソードが多い。
マスコットで飼っていたリスがクッションの下で寝ているのも知らずに、寺山がその上で寝転がり、圧殺してしまうエピソードとか。寺山は言葉もなくその場を立ち去ったという。
あるいは、大山デブ子の犯罪のオーディションで、肥満の女性を募集したが、1人も応募がなく困ったエピソードとか。ただし、宣伝では、デブの女性が列をなしたことになっていた。
1メートル以上の大蛇を身体に巻く!と宣伝された蛇は30センチ程度だったとか。
狼少女愛子はおばあさんだったとか。
舞台に蛍光塗料塗ったネズミを大量に走らせる演出を考えたが、皮膚呼吸できずにねずみがバタバタ死んでいったとか。
寺山に怒られた話は、「そりゃ、僕でも怒るな」というエピソードが多くて、著者の当時の駄目っぷりを示すものでしかないが、アングラ演劇に転がり込んだ家出少女に実務がバリバリこなせるはずもない。九條映子は別として、変人奇人ダメ人間の集団をよくぞ切り盛りできていたものだ、と思う。
巻末に、「疑似家族その頃」と題した座談会が載せられている。
前田律子、九條今日子、東由多加が語る。
語っているのは現代のはずなのに、60年代にタイムスリップしたかのようだった。
それぞれがかなりの年齢のはずなのに、座談会のメンバーの顔は、僕の頭の中では若かった。
寺山修司に触れて熱中したのが20才くらいだったからなのか、寺山と「若さ」はセットになっている。
京都で「奴婢訓」を2回見たり、寺山のトークイベントも見に行って、寺山の顔を直接見たり、「レミング」の大阪公演を全回見たり、熱中しているまさにその最中に、寺山は死んでしまったのだ。
寺山の死以来、僕はずっとこう思っている。
寺山修司は、今、地団駄踏んでくやしがっているにちがいない。
だって、僕と知り合えなかったんだから。
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