田代裕彦の『平井骸惚此中ニ有リ〈其貳〉』を読んだ。
大正時代を舞台にした探偵小説第2弾。
探偵作家、書生、華族跡取り、洋館での殺人。
講談調の語り口もあいまって、雰囲気はバッチリ。
それなのに、何か満たされないものが残るのは何なんだろう。
田代裕彦の国語力は見るべきものがあるのだが。
長男が死亡し、次男、三男、四男がお互いに命を狙う。
三男は次男の煙草に毒を仕込む。
その事実を知った四男は、三男の殺害をもくろむ。
次男はほうっておいても毒で死ぬのだ。
こういうわりと古典的なプロットは、推理小説らしくて面白いのだが、他の可能性を否定して、論理的に真相を導く手順がまったくない。
なまじっか文章がきっちりしているだけに、真面目にミステリと思って読んでいると肩透かしをくらうのだ。
トリックは縄に硫酸かけておいて時間トリックを弄する、という程度で、まあ、コナンでも使わないようなレベル。
それと、本作では平井骸惚がアリバイトリックを見破ってもそれを明らかにしようとしない。教えてください、と言うと
「駄目だ。と言うか無駄だ。犯人を特定することはできない。それに余計にわからなくなってしまうことだってある」
とか言って、教えてくれない。挙げ句の果には、こんなことを言うのだ。
「素人探偵が殺人事件の捜査なんぞをしてはいけないんだ。探偵小説じゃあないのだからね」
その真意を聞くと、
「殺人事件というのは、大なり小なり多くの人の人生に関わることだろう。だが、素人探偵は事件にしか関わらない」
また「君らに調べられていることを知った犯人が状況を打破するために、本来ならば無用の行動にでることだって有り得るのだからね。それでは探偵が事件を起こしていることに外ならなくなってしまう」
さらに
「探偵の言うことは真実だが、事実だとは限らないんだ。探偵は自分が納得できてしまえばそれでいいのだからね。それこそが、僕が素人探偵が犯罪捜査をしてはならないと言う理由なんだ」
屁理屈はもういい!と僕は思った。富士見ミステリー文庫でこんなごたくを読まされたくない。作者はこれらの文章に傍点をふっており、「ここが重要ですよ!」と言っているのだ。そんな部分は、一番どうでもいいところなのに。
ラストでも「探偵小説には事件のことしか書かれていない。その後のことは書かれていないんだ」にはじまり、結局は「我々は現実は残酷だと知ってしまっているからね。だからこそ、僕は探偵小説を書くんだ」なんて言っている。
屈折せずに、素直に謎を解けばいいのに。
悩む探偵っていうのがたまにいるけど、その小説のミステリ部分が面白ければ問題はないのだが、たいてい、つまらないのだ。あるいは、その悩む部分だけが無駄な気がする。探偵の悩みが僕には届いてきていないのだ。悩む探偵が出てくると、その悩みにふさわしく、まさに唯一無二のしかも意外性のある真相ってのを出してくれないと、バランスが取れないような気がする。「おまえが悩む必要はない。俺が考えても同じ真相に至った」かつ「この真相を見抜くことはできなかった」という真相。
さもなければ、「なんだ、これは論理の問題じゃなくて、作者がどんな解答を用意したかを当てればいい、アテモノなのか」ということになってしまう。このレベルをクリアしたうえで、探偵が悩むのなら、まあ、しかたない。悩みにつきあってやろう。でも、その悩みは読者の僕に関係あるんだろうな、ええ!?と思う。

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